西日本新聞モニター会議に初めて出席させていただきました

9月10日午後、福岡天神の西日本新聞社本社で西日本新聞モニター会議第二回が開催され、初めて出席させていただきました。進行役は井上裕之氏(執行役員・編集局長)で、編集局の各部長・論説委員会長・ものしりタイムズ編集長・コンテンツ事業局編成部長など多くの方々が出席されていました。テーマは、①九州豪雨災害報道をどう見たか、②ロンドン五輪報道について、でした。①については、A.災害時、とっさの判断で危機を免れる事例紹介が有意義。B.地域の課題が浮き彫りになるので、地域力で解決するという視点が必要、C.農林業を始め、今後の国土・地域を守る対応策を考えるきっかけを与えてくれた、などの意見を申し上げました。②については、A.長崎県諫早市出身の内村航平選手の内面との闘いと個人総合優勝は感動的、B.柔道で金メダルを取れなかったことの分析をもう一歩解説してほしい、C.報道内容はドラマチックで適切であるが、全体の総括・評価・課題に関するものが少ない、D.「平和の祭典」というオリンピックの原点に戻る観点からの報道・解説がほしかった、などの意見を申し上げました。

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長崎県立総合運動公園スタジアム建築現場を見学して感激しました~2014年10月が楽しみ

9月11日、暑い日差しが照りつける中で建築作業を急いでいる方々を見ながら、長崎県立総合運動公園(諫早市)の主競技場(スタジアム)を見学させていただきました。ここは元々、昭和44年に開催された第24回国民体育大会のメイン会場として建設されました。現在は2014年第69回長崎がんばらんば国体、同年第14回全国障害者スポーツ大会のメイン会場となるので、現在改修中です。諫早市が管理する上山(じょうやま)公園(藩主諫早家によって維持・管理された城山公園で、日本の歴史公園百選の一つ)に隣接しており、山の緑に囲まれた美しいスタジアムです。主競技場に隣接する補助競技場の芝生が美しく刈り込まれ、晴天に映えてすがすがしい気分になりました。(画像は工事中の主競技場の一部)

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雲仙の魅力再発見しました~全国有数のパワースポットで癒される

9月8日午後から、雲仙小地獄温泉に一年ぶりに行きました。新しく改装された青雲荘の森林に囲まれた露天風呂で温い湯(硫黄泉で白濁しているのが特徴)に長時間浸かり、雲仙の「お山」の霊力を感じながら、パワーを頂いて、次の企画や、執筆中のエッセイ集や、その次の著作の構想をまとめています。8日夜半からあいにくの冷たい雨になりましたが、朝起きると、明けの明星が天空に輝き、雲が足早に過ぎ去り、まぶしいばかりの日差しが戻りました。小地獄から一切経堂に向けてせせらぎの音を右手に聞きながら山道を降りていくと、美しい沢に出ました。雨の後のすがすがしい空気の中で、木々の梢が朝日を浴びて輝いており、見上げると教会のステンドグラスを見ているようで、荘厳な雰囲気です。大学生の頃は、年三回、蓼科高原の温泉に行っていましたし、社会人になってからは、軽井沢・箱根・伊東・下田の温泉に良く行きましたが、アクテイブな旅が多く、静養のためゆっくりと時間が流れる温泉に行くのは長崎に来てからです。泉質・大自然・食・歴史など魅力の多い雲仙の温泉をさらに追及したいと思います。(画像は雲仙市千々石展望台から見える雲仙の山々と橘湾の風景。霊力の強いパワースポットとして知られる。)

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東光寺「伝育坊物語」を書きたい~北松の戦国時代は面白い

9月6日午後、長崎県佐々町で、朏(みかづき)由典氏(佐々町教育委員会・教育委員)とお会いし、東光寺伝育坊の逸話と、その背景である北松の戦国時代のお話しを伺いました。これは、東光寺「伝育坊物語」を書きたいという一環で、佐々町の観光振興にも資すると思います。ただ、聞けば聞くほど、北松地域の戦国時代の歴史の流れは面白く、佐世保地方に本拠を置いていた相神浦松浦家と、平戸に本拠を置いていた平戸松浦家との対立の時代が前半、平戸松浦家による佐世保地方制圧後の隣国との攻防が後半の歴史です。平安時代から戦国時代にかけて肥前松浦地方で組織された武士団であった「松浦党」(「まつらとう」と読む)が各地に分散し、相神浦松浦家が松浦党の本家筋と言われています。佐々町にある東光寺は二大勢力のうち、平戸松浦家の側に立った山城で、そこに身の丈7尺(212cm)の豪僧「伝育」がおり、半坂合戦のさい、平戸松浦郡に加勢して戦場に赴き数多くの敵兵を、殴り倒すものの、最後は1564年、矢で眉間を打ち抜かれて絶命するという物語です。平戸松浦家の41代当主松浦章氏からは鎮信流のお茶会にお招きいただいたこともあり、その時はアメリカ人東洋文化研究家アレックス・カー氏を正客としてお茶会に出席させていただいた思い出があります(長崎新聞「うず潮」にもその時のことを掲載させていただきました)。佐々から平戸にかけての北松地域に来ると、この時のことを懐かしく思い出します。「伝育坊物語」を書いてみたいと思います。(画像はアレックス・カー氏が約4時間続いたお茶会で、私の目の前で箒のような筆で禅寺の襖に書いたと同じ「乾坤一擲」の書。)

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経営の基本を教えることの大切さ~ドラッカーと著名経営者の足跡から考える

9月7日、長崎市内で、「経営の基本を考える」セミナー(通称:「菊森塾」~主催者に付けていただきました)シリーズの第1回を開催しました。成長指向企業は、次世代経営者候補者を数名一定の時間をかけて育成する必要があり、最も重要なことは「経営とは何か」を体得してもらうことです。最近の若い人の中には経営責任を負う社長や役員にはなりたくないという声が多く聞かれます。現在は従業員であっても、数年後には自ら事業を起こしたり、経営をリードするという意識改革できる人材に育てることが必要なのです。当日は、東西の著名経営者と同様の経営の要諦をまとめあげたピーター・ドラッカー先生(1909~2005年)のポイントを解り易く解説した後、日本とアメリカの著名経営者の講演内容を見てもらって、一つ一つの発言について気づきを与え、議論し合いました。2時間という時間が実に短く感じられたと思います。人生を成功に導く進め方と企業の経営は、人間の根源にかかわる課題であり、良く類似していると感じていただけたと思います(「経営」は人生を賭けるだけの価値のあるものです)。長崎大学大学院(ビジネススクール)で経営戦略論を担当させていただく中で、経営技術を教えることはできますが、成功する経営者となるための根本をビジネススクールで教えることはカリキュラム上、あるいは学術性が求められる大学院の授業の制約上、なかなか難しい場合が多いです。これは、アメリカのビジネススクールが抱える限界と共通しています。経営技術と並んで、経営者となるための条件を整えることも必要です。今後は優れた著名経営者本人にも登場して貰い、経営幹部候補者と議論してもらう場面も作りたいと思います。

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長崎県県庁舎跡地活用検討懇話会(第2回)出席させていただきました~「長崎のへそ」の土地活用を考える

9月3日午後、第2回長崎県県庁舎跡地活用検討懇話会がマスコミ等公開の下で開催され、私は副会長として出席させていただきました。今回は長崎都市経営戦略推進会議・インバウンド促進にかかる街作り特別委員会から、「インバウンド対策の充実にかかる提言」について、同委員会の坂井俊之委員長・河西宏委員から説明をいただきました。説明いただいたように、県庁跡地は、「長崎のへそ」ともいうべき中心立地にあり、かつて時代順に岬の教会・長崎奉行所西役所・海軍伝習所があった意義深い土地です。民間の立場から、マーケット対策(関西・九州・上海等からの誘客)、インバウンド環境整備(総合観光情報発信拠点・二次交通アクセス等)のために本土地を使うことを提言されていて、民間団体として、重要かつ有益な提言をいただいたと思います。この土地は長崎市民だけでなく、長崎県民全体の共有財産としてふさわしい用途、長崎県全体の発展に資するような活用が求められると思います。これまでも平成21年度懇話会・アイデア募集、23年度ニーズ調査・アイデアワークショップ等で様々な方々の意見を出していただいていますので、今後、具体的・現実的(実現可能)な活用策の方向性を出して行くべきであると思います。(画像は長崎港出島ワーフから見る稲佐山方面の風景)

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地方都市に住む魅力とは(その2)~全国一豊かな食文化・素材の素晴らしさ

9月1日夕方、長崎市浜の町にある最近改装した吉宗(よっそう)に行きました。長崎県には七不思議(「寺もないのに大徳寺」など)がありますが、現代七不思議の一つに挙げていいと思うのが、「吉宗の茶碗蒸しは何故大きいのか」です。昨晩は吉宗の定番ともいえる「丼に入った茶碗蒸しと同じ大きさの丼に入った蒸し寿司」を食べましたが、普通茶碗蒸しは蓋つきの小さな器に入って出てきますが、「丼一杯のプリン」みたいな茶碗蒸しなのです。おそらく、江戸末期慶応2年(1866年)の創業以来、長崎では庶民的な味として、かつ「もてなしの街」として、「大きい」方が客人にとってインパクトがあるからだったのだと思います。長崎には「大きい」ことを良しとする文化があります。私が関わって推進してきた「鯨文化」もその一つで、鯨の力強さ・大きさをたたえて、正月や棟上げ等のめでたい祝い事に鯨を出すのが通例です。長崎はちゃんぽん・皿うどんの街と思っている人が全国には多いのですが、全く違っていて、全国一の食の街だと思います(大阪に次いで2番目かもしれませんが)。茶碗蒸しをまだ召し上がっていない方は召し上がってみてください。水産品・加工品の種類も魚種ごとの「かんぼこ」(蒲鉾のこと)があるなど豊富で、鱧(はも)の湯引きなども京都料理と思っている人が多いのですが、長崎の戸石・茂木や橘湾の鱧が京都に出荷されており、地元でも鱧料理が食べられます(京都の料亭で食べる価格の数分の一だと思います(笑))。地方都市に住む魅力の一つに、最高級の食材・料理が身近なことが挙げられます。人間一生に食べる回数は限られていますから、自然の食を楽しむことが人生を豊かにすると思います。(画像は吉宗の中庭。屋敷の中の中庭は、昔の「庭見せ」の影響かと思います。)

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地方都市に住む魅力とは~静かな暮らしとエネルギー

9月に入り、長崎もいきなり涼しい朝晩を迎えています。画像は今朝の長崎港です。以前このブログにも書きましたが、私は長崎にいて、仕事をしながら、美しい長崎港や稲佐山を眺めて和華蘭の歴史文化に囲まれて暮らしています。東京・大阪・福岡の企業や団体から経営に関する相談を受けたり、執筆・講演・テレビラジオ出演依頼を受けたりする場合もできるだけ長崎にいてインターネットや電話で対応することが多いです。官庁・企業からの依頼で東京にいるときは四谷三丁目の自宅で過ごし、大阪の仕事で関西にいるときはたまに古都奈良の両親の実家に行くこともあります。世界中の公開情報はインターネットで入手できるので、そのレベルでは不自由しません。しかし、人から直に入る情報が人生を変えることも多いので、友人・知人・要人に会う時には長崎市内から約2時間半(帰りは3時間)で行ける東京に行きます。地方都市に住む魅力は、ストレスのない世界で静かな思索とエネルギッシュな研究や執筆の日々を送れることと、雑音のない環境で冷静に優れた決断ができること、近くに大自然や温泉があることだと思います。まだ、鴨長明の「方丈記」や吉田兼好の「徒然草」のような随筆を書く年齢ではないので(とはいえ現在エッセイ集は執筆していますが(笑))、ビジネスやコンサルテイングや研究を地方都市から全国に向けて行っています。若い時にアメリカでお会いした、オマハで地味で質素な生活をしながら世界中から信奉者が集まるウォーレン・バフェット氏に強い影響を受けていると思う時があります(笑)。来週末は、雲仙でもあまり知られていない小地獄温泉に静養のために行きます。

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西日本新聞社「モニターの紙面評価」~九州の魅力最大限発信を

8月31日西日本新聞の朝刊第18面に「モニターの紙面評価」として、私のコラム「九州の魅力最大限発信を」が掲載されました。西日本新聞は九州の各県の取り組みを横断的に見ることができるブロック紙であり、九州全体の利益のために「食、大自然と温泉、アジアとの交流の歴史」という九州ならではの魅力を情報発信していただきたいと思います。平成21年から長崎県の広報外部評価委員長をさせていただいてきた経験から、長崎県の広報媒体の質は飛躍的に向上して、県内だけでなく全国的に高い評価を得てきました。各県の観光物産情報発信は重要ですが、九州全体の国内・海外に対する情報発信の重要性が高まっています。詳しくは同紙を見ていただきたいと思いますが、実践的エコノミストとしての立場から最後を次のように締めくくっています。「ブロック紙には、九州全体の経済記事が求められるし、また、全国・世界に発信する戦略性がほしい。従って、時空を超えて情報発信できるネットの活用も紙媒体と並んで有望なツールとなろう。」(画像は最後の部分が隠れています。)

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最後まであきらめない生き方~見る者が勇気付けられる24時間テレビ

8月26日朝、久々に24時間テレビ「愛は地球を救う」を見ました。その中で、三人の子供を残して36歳でがんで亡くなった芸人竹内ゆうじさんの家族が取り上げられていました。ゆうじさんは余命半年位を宣告されて、闘病しながら2年半生き続けたのですが、最後まで芸人としての人生を全うする姿には感動しました。人間はどこで病気や事故に遭遇するか解りませんが、どうなっても前向きに「使命」を全うするしかありません。病気の場合はあきらめないでやるべきことをやっていると、神様や仏様が助けてくれる場合も多いと思います。人間は病気になると、生きている時間を大切に自分や家族やみんなのために使おうとします。私は、24時間テレビで紹介され、ドラマ化までされた沖縄の玉元栄作氏の「生きてるだけでなんくるないさ」(25歳で悪性リンパ腫を発病した闘病記)をたまに読んでいます。そして、不思議に、1959年に発表された村野四郎氏の有名な詩「鹿」を思い出します。「鹿は森のはずれの夕日の中にじっと立っていた。彼は知っていた。小さい額が狙われているのを。けれども彼にどうすることができただろう。彼はすんなり立って村の方を見ていた。生きる時間が黄金のように光る。彼の棲家である大きい森の夜を背景にして。」(原文には句点がありません)人間には自分の力でどうしようもない時もあります。そして、鹿から連想して、故郷奈良の春日山を思い出します。(画像は願い事がかなうとされる奈良の世界遺産・興福寺南円堂。本尊の不空羂索観音菩薩像は鹿皮を身にまとっていた。)

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