東光寺「伝育坊物語」を書きたい~北松の戦国時代は面白い

9月6日午後、長崎県佐々町で、朏(みかづき)由典氏(佐々町教育委員会・教育委員)とお会いし、東光寺伝育坊の逸話と、その背景である北松の戦国時代のお話しを伺いました。これは、東光寺「伝育坊物語」を書きたいという一環で、佐々町の観光振興にも資すると思います。ただ、聞けば聞くほど、北松地域の戦国時代の歴史の流れは面白く、佐世保地方に本拠を置いていた相神浦松浦家と、平戸に本拠を置いていた平戸松浦家との対立の時代が前半、平戸松浦家による佐世保地方制圧後の隣国との攻防が後半の歴史です。平安時代から戦国時代にかけて肥前松浦地方で組織された武士団であった「松浦党」(「まつらとう」と読む)が各地に分散し、相神浦松浦家が松浦党の本家筋と言われています。佐々町にある東光寺は二大勢力のうち、平戸松浦家の側に立った山城で、そこに身の丈7尺(212cm)の豪僧「伝育」がおり、半坂合戦のさい、平戸松浦郡に加勢して戦場に赴き数多くの敵兵を、殴り倒すものの、最後は1564年、矢で眉間を打ち抜かれて絶命するという物語です。平戸松浦家の41代当主松浦章氏からは鎮信流のお茶会にお招きいただいたこともあり、その時はアメリカ人東洋文化研究家アレックス・カー氏を正客としてお茶会に出席させていただいた思い出があります(長崎新聞「うず潮」にもその時のことを掲載させていただきました)。佐々から平戸にかけての北松地域に来ると、この時のことを懐かしく思い出します。「伝育坊物語」を書いてみたいと思います。(画像はアレックス・カー氏が約4時間続いたお茶会で、私の目の前で箒のような筆で禅寺の襖に書いたと同じ「乾坤一擲」の書。)

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