長崎近代化遺産研究会9月例会に出席しました~軍艦島の遺産価値の大きさ

9月20日夜、長崎近代化遺産研究会9月例会が開催され、出席しました。今回は特にテーマを決めていませんでしたが、平成25年度世界遺産推薦について政府が「明治日本の産業革命遺産ー九州・山口と関連地域」に決めたことで、「端島(軍艦島)」の資産の対象をどこまで対象とするかなどについて話題が盛り上がりました。なぜなら、表題の「明治」には第一堅坑(たてこう)が1886(明治19)年に開坑され、1890(明治23)年には三菱に実権が移ったのですが、観光客などに話題になっている鉄筋コンクリート造りの高層アパートは1916(大正5)年以降次々と建設されていったからです。高島が1869(明治2)年に開坑したのとは時代が違います。ただ、私は少なくとも明治時代に掘られた坑道や岸壁などは構成資産とするにはふさわしいと思います。また、「負の遺産」についても議論が出ました。これについても、1978(昭和53)年、最初に登録された世界遺産の中に「ゴレ島」(セネガル)がアフリカ有数の奴隷貿易の拠点であったことや、その翌年に世界遺産に登録された「アウシュビッツ・ビルケナウーナチスドイツの強制絶滅収容所」が「負の遺産」と分類されていないことを考えると、記憶にとどめることは必要ですが、歴史に対しては様々な見解があることを忘れてはならないと思いました。(画像は、高島から中ノ島方面等に複雑な血管のように伸びた海底炭坑の模型。長崎市高島石炭資料館にて。2013.9.20撮影。)

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