近代長崎の研究者のさらなる充実が望まれる~歴史文化博物館「近代長崎と梅屋庄吉」を聞いて

3月24日午後、長崎県立図書館で開催された歴史文化博物館の講座「近代長崎と梅屋庄吉」を聞きました。講師は長崎県文化振興課山口保彦氏(元高校教師と自己紹介)で、史料に基づく研究成果を披露してくれました。長崎県では県庁行政文書が重要文化財指定されていませんが、今後研究を進める過程で、不明な部分の多い明治以降の長崎の歴史が明らかとなり、文化財登録も進むと感じました。山口先生は、日見峠の開削事業を巡る国と県との文書のやり取りから、予算以上の工事費がかかったため、民間ではなくて行政が工事を実施したという事実が浮かび上がってくると言われていました。近代的な明治政府が目指す行政の過渡期であったことがわかり、行政学上も興味深いと思います。明治20年代長崎を記録する鈴木天眼の「新々長崎土産」(明治22年)によれば、長崎人の特徴として、「長崎には尚武的気質なし」(「政事上の気力薄くして県治に市政に重要なる地位は大村平戸佐賀熊本等より出たる士族の手に奪われ」)、「支那人を尊重」などを上げていますが、長崎が幕府直轄地であったために、士族がおらず、町人・商人が経済を支えていたという特殊な背景があり、現在も脈々と長崎人のDNAとして流れているように思います。史料を仔細に研究していけば、近代長崎史が浮き彫りになると思いますが、長崎に研究者が絶対的に不足しているように思います。県立図書館整備などと併せ、目標を明確にした「歴史研究のマネジメント」(経営の質)が必要になってきていると感じています。(画像は県立図書館入口付近・日銀の裏にある桜の木)

カテゴリー: 経営, 長崎   パーマリンク

コメントは受け付けていません。