対馬(つしま)の防衛遺産のど迫力に驚き(その2)~NCC産業革命遺産シリーズ③の現地ロケを行いました

10月29日午後、姫神山に続き、万関橋(まんぜきばし)の現地ロケを行いました。1900(明治33)年、艦船が停泊する浅茅湾(あそうわん)からいち早く東側の対馬海峡へ水路で通行できるよう、万関瀬戸に、幅22㍍、水深3㍍の運河を切り開き、長さ100㍍の鉄橋が架けられました。1905(明治38)年5月、ロシアとの日本海海戦で、敵艦を発見した連合艦隊の一部、水雷艇がこの万関運河を抜けていち早く出撃し、夜の奇襲攻撃は成功をおさめ、ロシアのバルチック艦隊を撃破しました。岩盤がむき出しになる対馬の地盤で、これだけの運河を掘削するのは、110年前としては、難工事だったと思います。(画像は万関運河と万関橋。今は時々漁船が通るくらいだが、ここを軍艦が通った時代もあった。)

カテゴリー: 世界日本経済, 街作り, 観光, 長崎   パーマリンク

コメントは受け付けていません。