対馬(つしま)の防衛遺産のど迫力に驚き~NCCの産業革命遺産シリーズ③の現地ロケを行いました

10月28日午前、「長崎の近代化遺産活用事業実行委員会」で、対馬(つしま)の収録を、姫神山砲台(ひめがみやまほうだい)と万関橋(まんぜきばし)で現地ロケを交えて行いました。対馬は明治政府により、西の守りとして三期(明治20年代、明治30年代、大正・昭和)に分け要塞化が進み、40余りの砲台が作られました。姫神山砲台はそれらの中で最大の砲台で、日露戦争開戦の後に6つの大砲が設置されていました。砲台に行くまでに山中の細い道を山の中腹まで軽自動車で上がり、更に15分程度歩いた、山頂付近に設置されています。砲台は、1902年に完成しましたから、111年経っていますが、今でも使えそうな堅固な要塞のようで、タイムスリップしたかのような錯覚に陥ります。砲台の上に上ると、東水道側の海に向けて大砲を設置した台がそのまま残っており、眼下は180度深い海が広がっていました。地理学的には、世界のどの場所をとっても地勢というのは、昔も今も変わらず、対馬は今も防衛上重要な島だということを実感しました。(画像は姫神山砲台跡。円が二つ見え、二基の大砲が設置でき、同様の施設が3つ並んでいる。)

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