壱岐の松永安左ェ門記念館を初めて訪問しました~「我が人生は闘争なり」

4月27日午後、壱岐の松永安左エ門記念館を初めて訪問しました。松永氏は明治8年長崎県壱岐郡石田村印通寺(いんどうじ)に生まれ、大正13年日本電気協会会長に選任され、昭和7年支配資本14億円となり日本の「電力王」と呼ばれるようになりました。昭和26年電気事業再編成(民営化)を強行し、「電力の鬼」と言われるようになります。「我が人生は闘争なり」という言葉は、松永氏が23歳の時に、福沢諭吉の記念帳に書いたもので、同氏の生涯と活躍を物語る言葉として、残されています。私は若いときからエネルギー産業に関心が大きく、長崎県に来た12年前から、同記念館を訪問したかったのですが、やっと実現しました。館長さんの解説で見て回りましたが、東京湾横断堤・新東京国際空港・原子力政策などの基本構想を戦後間もなく提言しており、松永氏はスケールの大きな事業家・研究者・政策立案者の原点であったと感じました。私も見習わないといけないと思いました。壱岐に生まれ育った子どもたちに、郷土の偉人として、松永氏のことをもっと教育するべきだと思いました。松永氏が福沢諭吉との出会いで大きく成長したように、人間は人との出会いで大きく変わりますから。(画像は、左が記念館にある路面電車(1909年松永氏が設立した福博電軌の福岡市内の路面電車)、右が松永氏の生家(1895年ころまで造り酒屋・回船問屋であった)。

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