フィッシャー・デイスカウ氏の死を悼みます~麗しき五月に

5月18日、「100年に一人の歌手」と言われた、ドイツの世界的バリトン歌手、フィッシャー・デイスカウ氏が86歳で亡くなりました。5月のドイツは長崎や奈良と同様、大変美しく、「麗しき五月に(Im Wundershonen Monat Mai)」(シューマン作曲・ハイネ詩)の名曲をフィッシャー・デイスカウ氏が歌っていたのを思い出します。私が歌を勉強したのは小学校5年生の時、三重県伊賀上野から奈良に移ってからですが、声変わりして声域がバリトンであることを知り、すぐにイタリア歌曲を中心に勉強していました。当時の私にとって、自分の声で感情を表現できるイタリア歌曲は、自分の性格がイタリア的であったこともあり、しっくりくるものでした。その後、万葉集・古今集に見られる「韻を踏む」日本語の美しさに魅せられ、奈良にちなんだ「平城山」(作詞:北見志保子・作曲:平井康三郎)など代表的な日本の歌曲を歌うようになりました。その頃から、NHKに良く出るようになったバリトン歌手の立川澄人氏の「フィガロの結婚」のフィガロ役を見て、自分も声楽家になろうと思ったこともありました。(笑)高校(自由な気風で知られた大阪教育大学付属高校天王寺校舎)に入って、合唱やオペレッタを経験していました。ドイツ・リートと出会ったのは大学に入ってからで、フィッシャー・デイスカウ氏の「麗しき五月に」を聞いたのが最初でした。それまでイタリア歌曲を歌って来た私にとって、同氏の発声法・表現方法は全く異なり、抑えたような、細やかな感情表現を聞いて、「おとな」を感じました。近年の欧州危機で対局している、ドイツとイタリア・南欧の国民性の違いと似ているかも知れません。(笑)ドイツは子供の時から私に様々な影響を与えた国ですが、長くなるので別の機会に取り上げます。(画像は5月の天理医療大学(奈良県)周辺の建物。街路樹の緑がまぶしい。)

カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントは受け付けていません。