パワースポットという日本人の原点を求める旅

3月26日壱岐に行った際、初めて岳の辻にある隠れた神社に行き、霊気を感じました。壱岐には延喜式内社24社や式外社(壱岐七社めぐりの神社、元寇ゆかりの神社)、壱岐パワースポットとなる神社など、1,000年を超える歴史を有する神社が多く点在しています。私は、三重県阿山郡島ヶ原村という山村の正月堂という天平時代に建立された藤原密教の寺(奈良の二月堂・三月堂の原型となった)の隣で生まれたので、今は亡き住職が、大そう可愛がってくれて、私の坊主頭をなでながら「あんたは寺の子やから」と言って、秘仏を見せてくれたこともありました。村の大自然に囲まれ、山の神・田の神を崇拝し、寺社仏閣や自然に対する畏敬の念を感じるようになりました。小学生のころ、柳田國男の民俗学に興味を持ち、大学で政治学の京極純一先生の政治過程論の講義で、祭礼が政治の起源であるとの話を聞き、神々は日本人の心の原点であると思いました。今でこそ「パワースポット」という言葉で、多くの旅行者が壱岐・対馬の神社や伊勢神宮・熊野神社などにお参りに行きますが、私にとっては、神々は日常で、山・海や田園風景を見ていると力と知恵がみなぎってきて、私を見守ってくださっていると感じています。大都会に住んでいると、神々の存在を忘れがちになるので、近くの神社にお参りに行き、時間のある時は壱岐・対馬や島原半島の山岳信仰の場などに行き、自然と一体となることで、心の平穏と身体にみなぎるエネルギーを感じていただきたいと思います。(画像は壱岐・岳の辻にある小さな神社、神社は人々の営みとともにあることを感じます。)

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