オンライン教育とリアル教育

9/19,東京から長崎に移動する機内でこのブログを書いています。昨日は長崎県のある製造業界の組合さんを世界的な電子商取引サイトを複数扱っている企業の経営者にお引き合わせすることなど、忙しいスケジュールでした。リアル店舗よりも市場のニーズ変化を捉え、迅速に安価に世界に販売できる電子商取引は、DX時代の覇者となることでしょう。今日は、東大の後輩で、教育界におられて、多言語の翻訳が出来て、監査・内部管理のプロ・ITコーデイネータでもある才能豊かなM氏といつものようにランチしながら、テーマの一つとして、「オンライン教育」について話しました。私が、大学院で講師をする際、今年度はコロナウイルスの感染で、第1・2クオータはオンライン教育となりましたが、第3クオータはリアル授業でも、オンライン授業でもいいと、事務局から先週メールをいただきました。私は大勢の学生に一斉に講義する場合はオンライン教育が適していますが、大学院の比較的少ない学生を相手にする場合は、リアル授業の方がいいと考えています。ただ、オンライン授業にすると、学生がどこにいても授業(講義と質疑応答)ができるというメリットがあります。結局、事務局には、受講者全員に、オンライン授業・リアル授業どちらがいいか、事務局から聞いてもらうことにしました。この話をM氏にしたところ、彼は、「大学院教育は教授と学生の対話でしか成り立たないものだから、リアルが原則ではないか。欧州型、特にドイツのマイスター型の場合はそうだ。」と言われていました。知識を学ぶ学部生(undergraduate)と、考え方を学ぶ大学院(graduate)とは全く異なると思います。ただ、欧米でも、専門的職業教育を行う法律学校・医学学校・ビジネススクールの3つは、入学者が他の専門分野の学部生だったことが通常なであり、大学院では前半に専門的知識を付ける必要があるので、講義形式の授業が多くなることはやむをえません。私の経験では、修士課程の後半や、博士課程では、研究の方法論や論文の作法だけでなく、教授の思考方法も対話を通じて学ぶ必要があるので、「対面での教育しかありえない」と考えるのが普通だと思います。現在のzoomの技術レベルではなく、自由な発想や思考が対話や絵のやり取りや創作を通じて意思疎通できる技術レベルになったら、博士課程まで、オンラインでできる日が来るのかも知れません。荻生田文科大臣が、深夜のリレー記者会見で言われていたように、「小中学校が登校してのリアル教育なのに、大学がオンライン教育を続けている。」という指摘は、多くの人にとって、不思議な光景として映るかも知れません。(画像は、M氏とのランチの定番メニュー、大久保・中華苑の担々麺。長崎の中華とも異なる。)

 

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安倍総理の辞任に想う

8/28紀尾井町に向かう地下鉄の中で、安倍総理の辞任のニュースをスマホの号外で知りました。2012年12月の政権開始から7年半余り、色んな批判は浴びながらも「アベノミクス・三本の矢」を標ぼうして、「強い日本」を目指して来られた総理に敬意を表したいと思います。当時、日本は「閉塞感」が立ち込めていました。「三本の矢」は、金融緩和を除いて十分に機能してきたとは言えないものの、戦後初めて、「第四次産業革命」や「国土強靭化」、「若者の起業」が進み始めることとなった矢先の辞任でした。残念ながら、「第四次産業革命」は、GAFAMに代表されるような世界のICT・ビッグデータの流れに後れをとってしまいましたが、コロナウイルス感染拡大後、「デジタル・トランスフォーメーション」は、否が応でも進めざるを得ません。「国土強靭化」は、進めつつある中、残念なことに、熊本地震、度重なる豪雨・台風と、想定を超える洪水のために、これも進めざるを得なくなりました。「若者の起業」も戦後何度かあったチャンスを日本は十分に活かしきれなかったと感じていますが、ここ2-3年は初めて、ICT/AIを含めて、起業やユニコーン、株式公開などが定着してきた矢先、コロナウイルス感染で、企業選別・二極分化が始まろうとしていますが、これは、「強い成長企業」を作るうえで避けて通れなかった道であると感じています。安倍総理を継ぐ方がどなたになるかは、知る由もありませんが、どなたがなられても、これらの三つは、「強い日本」を作るうえで不可欠な政策であると考えます。これに加え、「国と地方の関係」を考える契機にもなると思います。東京や大都市中心の国造りはある意味必要だと思いますが、一方で、「災害や危機に強い国」、「食料やエネルギーの国内調達ができる国」もまた、政治の使命ではないかと思います。国家にとって、地方や離島の地政学的・国防的、食料・エネルギー面での安全保障上の意味を、もっと考える必要があると思います。戦後75年経過した今、日本の経済・産業・外交等、新たな平和国家・日本を構築するべき時が来ています。(画像は信濃町・慶應大学病院。安倍総理が検査を受けられた。)

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コロナの夏に、奈良を訪問

日本中どこへ行っても暑さとコロナで厳しい夏になりました。14日大阪での仕事を終え、夕方からの奈良県の旧友・議員とお会いすることになり、その前に、奈良国立博物館で、「よみがえる正倉院宝物」展を鑑賞しました。年に一度の「正倉院展」とは異なり、明治以降、奈良博物館展などに出展するために復元された作品群です。とは言え、当時の第一級の工芸家が調度品・楽器・仏具・文書・染織品等を復元しているので、それ自体、価値ある作品です。私の目を引いたのは、螺鈿を張り詰めた「五弦の琵琶」と、良弁(ろうべん)・道鏡(どうきょう)の書でした。良弁の書は高僧らしく緻密で整っており、道鏡の書は、法王にまで上り詰めた彼らしく、大振りで、力強い書でした。来館者は、老夫婦も居ましたが、多かったのは若者達でした。若い人の間で、これらの「正倉院の宝物」はどのように感じられたのでしょうか?

夜は、奈良県にお住いの20年来の知人経営者・議員と奈良市でお会いしました。元々理美容・エステ等の総合卸商社をされていましたが、今は幅広い実業家として、フィットネスジムも県内3市でされています。その方の古いお知り合いの料理屋「ほおづき」で会食をしながら、料理屋の主も会話に加わり、あっと言う間に、気が付いたら4時間が経過していました。奈良県や奈良市の課題や、最近のホテル業界についても話が及びました。長崎市と奈良市には、全国トップクラスの観光都市であり、江戸時代はいずれも天領だったという共通点があります。話に夢中になってしまい、コロナ対策として密にならなかったのはいいですが、いつの間にか、お座敷を2人で独占してしまっていました。奈良で魚と肉と野菜の「和洋食のおいしい店」でした。(画像は、吉野の「ひょうたろう」の柿の葉寿司)

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コロナ感染拡大の時期こそ「笑い」と「次への仕込み」を

東京都のコロナウイルス感染者数が一日300人近い日が続くなど、重苦しい状況が続いています。このような中、私は長崎から東京へ移動しなければならない仕事で、20名も乗っていないJALに乗った際に、いつも聴く機内番組で、堺すすむ氏の平成26年に収録した漫談を聞いていました。そのテーマが「笑いは糖尿病などの病気を治す」というもので、女性が男性よりも長生きなのは、「笑う」ことが上手からで、笑いと健康との関係を論文なども紹介しながら、取り上げていました(笑)。テレビはしきりに、コロナウイルス感染拡大を報道していますが、オンライン会議を使い、危険地域に立ち寄らず、ひたすら三密を避けて感染に注意しながら、「今こそチャンス」と、前向きに次の展開への仕込みをする人も居ます。昨日マスクを着けて訪問した企業も、大きなテーブルで密を避けながらも、社長が明るく、「人が動きにくい今がチャンス」と考えて、機敏に行動されていました。「笑い」は、免疫力を高め、色んな病気を予防したり、治癒する可能性があるということは聞いていましたが、人間の活動を活発にして、成功に導くことも多いと感じます。いつも参拝する、東京都新宿区須賀町の須賀神社(画像)の大黒天も、でかい腹を抱えて笑っていました。また、コロナ禍で様々な活動が抑制される一方、「書く」仕事の人や、「考える」仕事の人は、本来の仕事に打ち込める最高の環境であることも事実です。JAL機内誌7月号に、作家の浅田次郎氏のエッセイ「ロス空港の大捕り物」が掲載されており、次の下りに、笑ってしまいました。「ひたすら読み、ひたすら書く。これこそが本来の姿なのだと思えば、おのれの日常に、どれほど無駄や余分があったことかと、反省しきりである。」浅田氏でならずとも、「じっと籠って没頭する」時間は貴重です。余りにも楽天的で、アメリカやブラジルのように、感染を広げてしまうことは避けなければなりませんが、日本人はもっと明るく前向きな心で、笑いながら物事に取り組んでもいいのではないかと思いました。(ただし、これ以上、大都市で感染者数が増え続けると、地方から東京には行きにくくなり、東京から地方に行きにくいのも事実です。)

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2020年7月九州豪雨とコロナ

2020.7.7今年の梅雨は、九州地区の熊本県人吉・福岡県大牟田・久留米等に豪雨をもたらしています。長崎県も滝のような豪雨に見舞われましたが、今のところ、大水害には至っていません。7月6日の豪雨の時も、私は新地中華街の3階に住んでいますが、雨音があまりにも激しく恐怖を覚えたので、初めて避難準備として、荷造りをしました。高台にある避難所が多くないので、当初は避難所となっている高台の新興膳に避難しようと考えましたが、新地から新興膳までは、中島川の橋を渡らなくてはならず、水嵩が増したら危険と思いました。そこで、新地にあるホテルに避難しました。ホテルなら、マンションやビルと違って大きい建物であるのと、洪水で1階が水に浸かっても、土砂崩れで瓦礫で埋まっても脱出しやすく、安心と考えたからです。この日は豪雨が朝方まで続きましたが、幸い洪水にはなりませんでした。長崎は大水害を経験しているので、治水工事がされていると聞いていました。川が短くて、すぐに海に流れてしまうというのも、洪水になりにくい理由だと思います。ホテルに避難した結果、滝のような大雨でも静かでよく眠れたことが良かったと思います。後日、消防署の方に聞いたら、避難所は、冷房も扇風機もなく、とても快適という状況ではなかったようです。命を助けるために避難所はあるので、当たり前ですが。「コロナの恐怖より、まずは水害からの非難を」というのも正しい判断だと思います。今回は、初めて「災害が身近に迫っている」と感じた豪雨でした。福岡・佐賀・鹿児島・長崎など、年々、災害につながる豪雨が増えているように思えるのは、私だけでしょうか?

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コロナウイルスと「プロフェッショナルの生き方」

この3か月間、コロナウイルス感染の影響により、飛行機が極端に欠航になり、行動に制約が出る中で、テレビやyoutubeを多く見るようになりました。6/13のNHK「プロフェッショナルの流儀」で宮崎駿(はやお)監督の「風立ちぬ」制作1,000日の記録が放映されていました。堀越二郎(1903-1982、東京帝国大学・工学博士、三菱内燃機製造に入社、零式艦上戦闘機開発で有名)が「美しい飛行機を作りたい」という憧れを持ちつつも、ゼロ戦・戦闘機の開発に取り組んでいかざるを得ない時代でした。人間は運命に翻弄されながら、時代背景の中で生きていくしかありません。日本のこの100年の歴史の中で、「人が会えない、離れ離れになる」時代が幾つかありました。戦争・大震災もその一つでしたが、今回のコロナウイルス感染もその一つです。どんな逆境にあっても「力の限りを尽くして生きる」ことの尊さを、このアニメ作品は教えてくれます。試写会を見た宮崎駿が「自分の作った映画で泣いたのは初めてです。」と言うシーンは見る人を感動させます。

今回の感染に伴う非常事態宣言で、自分の行動が制約を受けただけではなくて、飛行機の予約が自動キャンセルされる、大勢での会食ができなくなる、人になかなか会えなくなりオンライン会議・オンライン教育に変わる、等、生活が大きく変わりました。「人に会える」ことが当たり前ではなくなってしまいました。私は、若い人を含め、周りの人に、「今日できることは今日片付けよう」と言っています。これは、10年前に私に病気が発見された時も同じで、「明日は今日と同じではない」「いつまでもチャンスの扉が開いているとは限らない。扉が閉まる前に行動しておこう」と思うようになりました。ビジネスや投資を自分で実践している人等、職業として経済金融情勢の変化に直面している人にとって、これは常識かも知れません。コロナ後の世界は、これまでよりも自らリスクを取って生きていくことが必要になる社会でもあると思います。来月初公表させていただく、「コロナウイルス感染後の世界を勝ち抜くためにーこれからの生き方を考える」にも、盛り込んでいます。

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寂しい「小屋入り」とコロナウイルス

私がこのブログを始めたのは,2011年の6月1日で、明日で9年が経過したことになります。長崎の街には、多くの人が戻ってきました。今年は、「長崎くんち」の演(だ)し物がコロナウイルス感染のために奉納されず、長崎の人は、自分も含めて、寂しい思いをしています。今日、新しい提案書「コロナウイルス感染が経営を変えるーコロナ後の世界に向けてイノベーションを」をまとめました。長崎は観光の街なので、様々な祭りやイベントが中止になる今年は、寂しいだけでなく、経済的にも大変な年となりました。多くの事業者が、売り上げ・観光客の回復を待っているところです。一方、今回のコロナウイルス感染は、まだまだ第2波・第3波がやってくる可能性は否定できず、気が許せません。このような状況が長引くと、「コロナ後の世界」は半分元に戻ると思いますが、半分は、根底からビジネスを変える必要があると思います。外食産業から中食へ、リアル会議からオンライン会議へ等、ビジネスの仕組みは以前からあったとしても、その比重が大きく変わると思います。今回の提案書は、このような経済・社会・技術の環境変化が、企業や非営利法人の経営戦略・経営管理を大きく変えて、技術・経営のイノベーションやSDGs経営を強く推進することになり、この機会に、積極的に推進すべきであるということを書かせていただきました。

経済社会は、大きな災害や不景気等変化が起こらない限り、自己変革することは少ないと思います。2011年3月11日に東日本大震災・福島第一原発の事故が起こりましたが、私が不思議に思ったのは、原発の中で作業できるような「ロボット」ができていなかったことです。産業ロボットはそのころにはできていたのに、危険作業を不安定で視界不良な場所で行うロボットはできていなかったのです。それから1年程度して、千葉工業大学等で作業ロボットが作られ、それでもロボットが途中で止まりながら進行するところが報道され、なかなか難しいと感じました。「もの作り大国」である日本でこのレベルなのかと、その時は思いました。企業のBCP(事業継続計画)も大幅に強化されたと思います。その後、国は、ロボット・AIの導入に舵を切り、第四次産業革命を経て、Society5.0へと進むことになりました。

日本には「禍転じて福となす」「ピンチをチャンスに」という言葉があります。今から2年後、現在を振り返って、「技術も経営も大きく変わった」と思うことになるかも知れません。

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コロナウイルス後の世界に向けて

コロナウイルスの感染が日本でも2月ころから急拡大して、4月7日に政府が5月6日までの期限付きで緊急事態宣言を出し、さらにそれを、5月31日まで延期しました(途中で解除の可能性も留保)。私は、5/8に提言書「コロナウイルス緊急事態宣言を受けた長崎への低減―コロナ後の世界に向けて」(未定稿)をまとめました。感染症で経済が悪化したのは、歴史上何度かあり、ペストが有名ですが、幕末1858年の、長崎から感染が広まったコレラ、1918-1929年のスペイン風邪、近年でもSARS,MERS等経験してきており、そのたびに克服してきました。コロナウイルス感染の経済影響は、1929年の大恐慌や2007-2008年のリーマンショックの時とはおおきくことなり、「消費喪失」がいきなり起こったことに特徴があります。金融恐慌とは異なり、経済・金融システム、生産システムが壊れたわけではありません。しかし、これまでの感染症と異なり、ワクチンや治療薬が開発されていないこと、このまま感染が終息すればいいが、長期化すると、経済社会の大きな影響を与える可能性があるのです。

「コロナ後の世界」がどうなるのかに、皆さんの関心が集まると思います。結論から申し上げると、現在の日米の経済指標に見られるように、目先大幅な景気後退が起こりますが、1-1.5年後に回復していくと考えられます。V字回復は難しく、U字回復またはL字回復の可能性があると考えています。回復時、これまでの経済社会そのままであるのではなく、半分は従来の世界が戻りますが、半分は根底から大きな社会変化が起こると思います。数字や詳細は、提言書を読んでいただきたいと思いますが、大きく変わる部分は、「変化時間の短縮」「加速化」だと思います。これは、今までも、Society5.0や、第四次産業革命が徐々に起こってきましたが、今後1-2年の間に、ICT・デジタル経済の導入が生活・社会の間に、急速に進むと思います。

観光業についても、今は人の移動が制約を受けていますので、観光客数・観光消費額ともに落ち込んでいますが、半分は従来の形の国内・インバウンド観光が戻ると思います。3-5月は自粛要請から、感染を抑制するために、家に籠ったり、地域から移動することが規則的・心理的制約を受けてきていますが、だんだん人の移動が戻っていくと思います。江戸時代には住んでいる地域から他地域に移動することが制約された時期がありましたが、一方で「お伊勢参り」のような合法的な観光手段がありました。現在は、自粛要請が無くなったら、完全に戻る可能性が高いと思います。ただ、残念なことに、1-2年の間、景気が落ち込んだり、事業の廃業・労働者の失業等の要因で経済力が落ちて、観光する経済的余力がなくなることが考えられます。特にインバウンド観光は、国際間移動に関する航空会社・ホテル事業の回復までに時間がかかる可能性があるので、マクロでみれば、インバウンド観光の回復が最も遅くなる可能性があります。すなわち、観光需要が回復しても、観光サービスの供給体制が戻るには時間がかかる可能性があると思います。このように、国内観光が観光客数として戻ってきたとしても、「マイクロツーリズム」のように、かつて「安近短」と言われてきた観光が増えて、今後3年間くらいは、観光消費額は低い水準にとどまる可能性があります。

こういった事態に対応するには、提言書にも提案しているように、「ハイクラス観光」「富裕層向け観光」「目的型観光(MICE/IR等)」の比重を高めていくことも、コロナ以前と比べてはるかに重要になると思います。観光分野でも、「観光の進化」が急速に進展すると考えられます。

消費行動自体、「本当に必要なもの」「なくてはならないもの」「将来に備える消費(災害対応・備蓄)」等、無駄を排除した消費が当面優勢となると思います。今回のコロナウイルス感染拡大により、「無くてもいいもの」が浮き彫りにされました。したがって、当面1-2年の間、所得の減少とも相まって、デフレ心理が台頭すると考えます。ただ、富裕層等の市場は、引き続き拡大し、上記の観光と同様、消費の「二極分化」が進むと考えます。また、消費するのに店に行ったり、現金決済する必要は必ずしもなくて、ネットでの消費がこれまで以上に急速に進展すると思います。

しかし、「ピンチはチャンス」であることは事実で、ICT等先端技術、観光、消費それぞれに、大きなチャンスの芽が育っていきます。時代の先を読んで賢く決断し、行動できた人や企業が、コロナ後の世界の勝者となることは、今回も起こると思います。

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コロナウイルスと相場変動の大きさ

私は、3/22長崎から東京に向かう揺れる飛行機の中で、このブログを書いています。飛行機よりも、コロナウイルスに端を発した、この1週間の市場の混乱を思い出しながら。2008年から始まった、リーマンショックへの道は、世界の経済指標を常に見ていた私には、予知することができました。デリバテイブ・証券化にかかわっていた私にとっては、金融手段を悪用していると思ったからです。アメリカが、日本の「失われた20年」になるかもしれないと感じました。しかし、その次の2011年の東日本大震災の時は、テレビの画像と市場の推移を見ながら、当初の数時間は地域が限定された災害とみていましたが、東京証券取引所が閉まる午後3時までの15分間弱の間に、見事に株式などが下落しました。それでも3県の太平洋側が大きな被害に遭うのをみて、「迅速・大規模な対策を取らないと、人命・地域自体を失う」と思いました。これに追い打ちを駆けたのが、東電福島第一原発の事故でした。一時的にせよ、アメリカをはじめとする外国人が政府専用機や民間航空機で日本を退避することになったのです。ハウステンボスから、多くの外国人観光客の姿が消えました。首都東京に直接の被害は少なかったとは言うものの、湾岸部の土地の液状化現象や、多くの不動産のひび割れなどの被害が見られ、不動産投資信託(REIT)市場が下落しました。そして今回のコロナウイルスが引き起こした新型肺炎は、当初は中国・湖北省の感染にとどまるとみていましたが、イタリア・スペイン・アメリカ等、中国と関係が深い国々の感染者が日ごとに増えることになってしまいました。人類の歴史は、何度かパンデミックの状態を経験し、立ち直ってきました。早く感染が終息してほしいと思います。中国での感染封じ込めの経緯を見ても、世界的な感染は、4-5月ころに終息に向かう可能性があると思います。しかし、経済的損失は大きく、おそらく1年程度は、景気の落ち込みが続くことを覚悟しておく必要があるような気がします。経済を支える企業の生産、個人の雇用・所得・消費の一時的な毀損が大きいからです。不幸中の幸いですが、生産基盤や人材が大きく失われたわけではないので、いずれ需要が回復し、世界経済は再び回復すると思います。市場も、4月以降、上下動を繰り返すと思いますが、半年くらいで落ち着く可能性が大きいと思います。

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若い人の活力で日本を変える時代

1/29は、パシフィコ横浜で開催された、「IR展示会」をMICEの参考として、拝見しました。IR事業者のブースもありましたが、イメージ戦略で、手品やシヨウで「IRは華やかで楽しい」ということをアピールしていたように思います。ちなみに横浜市も、日本のIRの候補地の一つです。具体的だったのは、IRへの入所管理・顔認証の展示をしていたIT企業で、IRがすでにAI等を駆使して先端産業化していることを改めて実感しました。IRエリア周辺全体が「スマート・シテイ」になることもありうると感じました。単なる実証実験ではなく、今年の東京オリンピックを機に、一気に実用化していくでしょう。IRは次世代産業を揺籃すると思います。

今、JALの機内でこれを書いています。最近JAL長崎―東京便は満席です。大体、予約する際の席が決まっていて、国会議員・県会議員・市長にお会いすることも多いのですが、私のようにエコノミー席しか使わない人間でも、日本を代表する選手のお母さまにお会いしたり、有名なベンチャー企業のオーナーや著名な医師・弁護士に会うこともあります。私の年代だと、飛行機に乗るとき、ある程度きちんとした服装をする傾向にあったのですが、最近は外見からでは、なかなか著名人を見抜けないと感じています。著名人や金持ちほど、カジュアルな服装をしているからです。アメリカや中国の元ベンチャー企業のオーナーも、一人で乗っていたら、全く気付かないような、普通の服装をしています。良くみると、シャツや靴や時計が大変高価なブランドだったりするのですが、スニーカーを履いていたり、分かりにくい地味な服装をしていることが圧倒的に多いのです。もちろん、話せばわかりますが、その時は、特異な経験と見識を持った方で、楽しい会話となることが多いのです。

これからの日本は、服装とか、見た目ではなく、どんな若者でも、一定の要件を満たせば、どこまでもリッチになれる時代だと思います。アメリカ社会がそうであってきたように、「チャンスを捉えて逃さない」(失敗を恐れずやってみる)、「なんでもチャレンジしてみる」人が、いつかは報われる時代にやっとなったと思います。それは、各人それぞれの分野で、「社会や人間のニーズに応える」ことで、社会的にも個人的にも評価される社会になったことを意味します。

私は20年前に、コンサルテイングファームという、日本には当時無かった、インターネットで、クライアント企業の法務・会計・税務・労務等を支援する会社の創業・株式公開のために顧問に就任したことがあります。当時30歳台前半の弁護士・公認会計士・司法書士等の熱心な取り組みを支援することになったのです。当時、医療分野で類似のビジネスモデルアメリカにありましたが、日本にはまだありませんでした。このビジネスモデルは、クライアント企業支援のほかに、士業(国家資格等の保有者)の最新情報・コンサルテイング力支援と、ナレッジマネジメント(暗黙知から形式知への転換)を図り、データベース化するシステム構築を伴うもので、ビジネス化に成功しました。そのころ私の相談相手の一人が、当時慶応大学教授の竹中平蔵氏で、その時に、この会社の成功事例を含めて、新時代を切り開くために、共著「学習する会社のナレッジ・コラボレーション」(かんき出版)を発行しています。顧問兼株主を10年間させていただきました。時代が少し早すぎたのかも知れません。しかし、あの時の経験が、今も、ビジネスを見るときや創業支援するときに生かされています。当時は「ビジネスモデル」という発想がまだあった時代でした。現在は、AIやIoTの技術が導入されているので、「死の谷」を越えるのは、そう難しいことではありません。株式市場も創業後年数を経ていない企業でも株式公開できる時代になっています。20年前に比べると、はるかに創業・ベンチャー企業を起こしやすい環境が整ったというべきでしょう。

私は、地方にいても、全国・世界に物やサービスを提供できる企業が生まれ、上場できる日を待ち望んでいます。若者の時代を捉える感性と情熱と、市場拡大・組織運営をサポートできる経験者がマッチできれば、離島からですら、上場企業を生み出せると思っています。

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