黒川紀章氏との思い出~建築界の巨人の言葉を振り返る

3月19日、建築家の故黒川紀章氏のことを私が書いたコラムが見つかりました(全国理容総合研究所HP)。長崎県壱岐市「一支国(いきこく)博物館」の設計が彼の遺作となりました。長崎県壱岐から、福岡港・ハイヤー・福岡空港・全日空ジャンボ機最先端の席・羽田空港まで、ご一緒した際に、延々と黒川先生が私に語ってくれた時の思い出です。2007年10月に亡くなられましたが、建築界・都市設計界での業績とともに、世界観・教育観には、学ぶべきものが多いと思い、以下に再掲させていただきます。

黒川紀章さんとの出会い
4月26日、私は初めて日本を代表する建築家黒川紀章さんとじっくり話をする機会を得ました。私は、長崎県壱岐で行われた、原の辻遺跡の委員会で、コーデイネーターを務め、委員の一人として、長崎が好きな黒川さんを県が呼んだのです。彼は世界的な建築家で、マレーシアの国家顧問になるなど、建築のみならず政治や経済のあり方にも興味を持たれる、幅の広い人です。考えてみれば、超多忙な黒川さんが、長崎の離島で開かれる委員会に出席してくれるなど、想像もつかないことです。彼は、原の辻遺跡という、奈良県の明日香にも匹敵し、わが国でも例を見ない「弥生時代の国際交流センター」に興味を持ち、これをどう守り育てるかに関心があったのです。壱岐は「魏志倭人伝」に出てくる「一支国(いきこく)」で、東アジアとの交流が盛んに行われ、古代へのロマンを感じさせる島です。 壱岐での委員会が終わり、全日空で東京まで同行する間に、色々な話をすることが出来ました。日本は再生できるのだろうかとの質問をした際、彼は、「内部の論理が強過ぎて、外の意見に耳を傾けない日本は、自らの力では改革できない。もう私の生きている間には変革することは出来ないだろう。あなたの年代に期待したい。」と言われました。「日本は本当に人材を大切にし、ハイテク化を図ろうとしているのか、疑問に思うことがある。日本では、経済産業省も文部科学省もIT(情報技術)とバイオは分離して考える傾向にあるが、アジアやアメリカでは、ITは遺伝子構造の解明を通じてバイオと密接に関わっている。これが何故理解されないのか。」「国の教育審議会の委員になり、大学を改革するにはどうしたら良いかとの議論はするが、大学関係者当事者が決めるために、自分たちが不利になることはやらない。例えば、大学の先生の半分は英語が自由に話せる人や、外人を登用すべきであると唱えたが、未だに外人の教授は極めて少ない。このため、大学は最も怠慢な社会になっている。」「日本は戦略的な考え方のできない国だ。国も地域も企業もコンセプト(全体を導く方向性や戦略)作りなしには発展できないのにも拘わらず、取捨選択して、一定の方向性を出すというリスクを伴うことができない。」ご自分の経験を踏まえた、色々な意見が出ました。今では、外国政府から呼ばれる方が多いそうです。

私は、コンセプトこそが、国・地域・企業にとって重要であると考えます。組合もサロンも、戦略なしには生き残れない時代が来つつあります。例えば、理容総研は、「営業支援型の組合」「若い人を大切にする組合」というコンセプトを提言しています。後は組合員の方々が、その実現に向けて、どこまで真剣に実行できるかに掛かっていると思います。新しい時代に向け、一歩踏み出す勇気を持ちたいものです。

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