飛行機で読んだ1冊⑦~「美しき日本の残像」・わが心の「残香の茶会」

2月23日の東京都市場問題PTの第6回会議に出席するために長崎から羽田に移動する飛行機の中で原稿を書く合間に読んだのが、アレックス・カー「美しき日本の残像」でした。日ごろ、論理的な学術論文や、実務的な本を読んでいると、ふと、みずみずしい日本語や日本の風景に接したくなります。私が長崎・奈良・東京を愛して3地点で活動する理由は、ここにあります。アレックス・カー氏とは、小値賀島・平戸で何度かお会いして、日本人以上に日本の風土・文化を愛している人だと衝撃を受け、2008年2月の平戸・松浦家から茶席の客人として招かれた時のことを鮮明に覚えています。下に、その時の思い出を長崎新聞にコラム「残香の茶会」として掲載しています(2011.7.30ブログに掲載)。自分の書いた昔の文章は読みたくないものですが、不思議なことに、これだけは何度読んでも記憶がみずみずしく蘇るのです。「美しき日本の残像」は、日本古来の美意識や思想が柔軟であることに、外国人の目を通して気づかされます。「山の人と平野の人との違いです。孔子が『かしこい人は水を好む、やさしい人は山を好む』と言ったように、世界のどこにおいても、山には心の優しい人が多いのです。(中略)それに比べて今の日本人の頭のかたさは対照的です。長い幕府政治、明治から昭和初期にかけて続いた軍国主義、そして現代の教育のシステムによって作られたものだと思われます。」(第二章祖谷)私が「残香の茶会」に書かなかった、茶会での出来事があります。当主松浦章さんが、正客アレックス・カー氏に、書を所望したときに、茶会が行われた禅寺の襖を外し、床に置いて、箒のような大きな筆で書を書いたのです。字は「乾坤一擲」でした。韓愈の詩「鴻溝を過ぐ」にある、武家茶の席にふさわしい字であったと思います(乾坤一擲とは「運を天に任せ、一世一代の大勝負に出る」の意)。この夜の鎮信流の茶会のことは、一生忘れないと思います。(画像は、熊本県湯前町で講演した際の宿泊施設で。2016.3.2)

(以下は私のブログ再掲2011.7.30)

私が長崎新聞のコラム「うず潮」に月一回寄稿させていただいて、来月で早くも丁度8年になります。この中で、松浦家当主松浦章氏(現在藤沢在住)との「稀有な経験」は今も心に残っています。以下のコラムは2008年3月に掲載されたものです。
二月下旬の満月の夜、平戸市の禅寺で鎮信流の残香の茶会が開かれ、ご招待いただきました。私は奈良育ちですが茶会は30年以上出席したことがなく作法や正座など不安で一杯でした。正客である日本文化研究家のアレックス・カー氏や亭主の松浦氏に優しく教えていただき、何とか四時間余りの茶会を有意義に過ごすことが出来ました。月明かりを頼りに苔むした石段を上がり門をくぐると、蝋燭の光だけの客室に通されました。枯山水の庭に月光が降り注ぎ、日頃電燈になれた暮らしを営む私には、眩く美しく感じられました。まず江戸時代から変わらぬ山海の伝統料理が四つのお膳で運ばれ、昔の平戸に思いを馳せました。次に茶室に移り濃茶をいただきましたが、驚いたのは、二つの獅子の掛け軸と、花活けの三メートルはあるかと思われた凛とした竹と可憐な一輪の花でした。明らかに侘びさび茶とは異なり、客人を威嚇するような掛け軸と花活けに、かつて交渉や敵状視察の場として使われた「大名茶」の名残を感じました。最後に別の茶室で薄茶をいただきましたがここでも御簾の向こうで茶を立てるため、客人からは見えないという特徴がありました。
茶会の話題の一つが「平戸の再生」で、平戸の交流人口を増やす観光振興の行動を起こすには、地域の人々が我が住む街の魅力を再発見し、リーダーを中心として街作り運動を実際に起こすこと、外部の人の力を借りてでも平戸の魅力を世界に情報発信することが必要であると話しました。街作りのリーダーとこれを支える人材が現れる地域は発展するという客観的事実があります。また、住民の街作りの動きに呼応して、行政がカネや情報の面で支援し、官民協働を進めることも重要です。
異空間にタイムトリップしたような寒い禅寺を出た私達は、あたかも幻の世界から現実に引き戻されたかのように、平戸海上ホテルの森司社長らと平戸瀬戸が望める温泉で身体を温め、リラックスして酒を飲みなおしました。残香の茶会の残香とは、梅の残香というよりも、江戸時代に物産振興などで地域の発展を願った大名の残香ではないかと思いました。

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