飛行機で読んだ1冊⑥~元祖シンクタンクとしての「満鉄調査部」

2月16日夜、東京から長崎に移動するJAL最終便の中で、小林英夫著「満鉄調査部」を読みました。満鉄調査部のことは、27歳の時に、三井銀行調査部長(常務取締役)だった後藤新一氏(九州大学博士)から、私が部員として教わった、シンクタンクの原型です。私が運営している「ながさき地域政策研究所」や私が主席研究員を務めさせていただいた日本総合研究所も含め、シンクタンクほど、どんな機関・職業であるかを説明しにくい業種はないと思います。「満鉄調査部」は戦前の対中政策の担い手として、平和希求国家日本にとって良くは思われない一面があったことは事実だと思います。ただ、満鉄調査部が多様な人材を集め、自由な議論を通じて、政策を立案し、「調査活動をベースとした日本の経済参謀本部」として活動していたことは事実です(P.6)。これは、戦前・戦後の日本の巨大プロジェクト・構想につながる研究を行った、長崎県壱岐市が輩出した偉人・松永安左エ門(「電力の鬼」・電力中央研究所を設立。)にも相通じるところがあります。私が25歳の留学時、米国シカゴ大学極東図書館(Far Eastern Library)で見た、おびただしい「満鉄調査月報」や関連資料は、戦後アメリカの極東政策の基礎的情報として利用されたものと思われます。石炭・石油(頁岩)・大豆・肥料の生産と港までの鉄道経営の必要性は、当時の経済政策の重要な一部だったことがわかります(第二章)。「客観的な事実を基礎として論理的に仮説を組み立て検証する」という満鉄調査部がとった調査の基本は、今も、シンクタンクや調査機関に生き続けていると思います。(画像は2/15夕方、多良岳の上空から見た島原半島・雲仙と諫早湾干拓地の道路。この後、飛行機は雪を被った阿蘇山の上空・大分県佐賀関の上空を通過。)http://kikumoriatsufumi.com/wordpress/wp-admin/media-upload.php?post_id=5849&type=image&TB_iframe=1

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