長崎「エキゾチックジャパンへの旅」展見学しました~江戸から明治の長崎の実相が蘇る

1月6日早朝8時半、長崎歴史文化博物館展覧会「エキゾチックジャパンへの旅」を見学しました。長崎と横浜の居留地時代を中心に、版画「野々上コレクション」と、長崎大学付属図書館が所蔵する「幕末・明治期日本古写真コレクション」を資料として、当時の両都市の風景や生活を描いた展覧会で、細かく見ると、色々なことがわかってきます。例えば、展示室に入って間もないところに、江戸前期に描かれたとされる「瀬戸内海地図屏風」がありますが、瀬戸内海から佐賀辺りまでは詳しく書かれていますが、長崎に関する情報はほとんど書かれていなくて、島原半島の形も良く計測されてなかったことがわかります。「諏訪神社境内」も、本殿に向かう階段には屋根付き渡り廊下になっていたのですが、今の諏訪神社では階段だけとなっています。「諏訪神社の青銅の馬」も今はブロンズではなく、場所も変わっています。伊勢宮の前で待機する古写真「人力車」の人夫(引手)も、褌着用で、当時洋式下着はまだ一般的には普及していなかったことがわかります。1895年(明治28年)撮影の「高島百間崎第三坑写真」に、積み上げられた材木が写っていますが、燃料あるいは坑木として材木が使われていたのではないかと思います。一つ一つの資料を良く見ていくと、一般的に知られた、外国船が密集していた長崎港や今は無き長崎ホテルなどとは別の、人々の生活や近代化産業遺産の真相が生き生きと見えてきて興味が尽きません。今回の展覧会は「図録」が頒布されていないので、見学者の記憶から消えていくでしょうが、貴重な資産である版画や古写真をできればどこかで見れるようにしてほしいと思いました。また、資料に対する時代背景等の的確な解説をつけるためには、研究者を充実させる必要があるとも思いました。楽しい展覧会なので、まだ行かれてない方は是非行ってみてください。(画像は諏訪神社境内にある「諏訪荘」2013年1月3日撮影=大正9年長崎の豪商永見寛二氏が建築した無節の栂材を使った大正期の代表的な日本建築。天皇皇后両陛下も皇太子時代に宿泊された。)

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