対馬観光戦略、そして三井交友会

17日午前のANAで福岡空港から対馬市に5年ぶりに入り、午後、長崎県対馬振興局のご案内で、比田勝港周辺の企業や18銀行を訪問・ヒアリングしました。18日は朝から石屋根集落や厳原周辺を視察し、午後から「対馬観光検討会」に出席させていただきました。この会議は、韓国からの観光客が9割減少していることに対応し、今後の観光戦略について検討するために開催されました。私が座長に選任され、各委員の皆さんの今後の対馬観光に関するご意見をじっくり伺いました。業界各団体や旅行会社だけでなく、日韓交流団体・飲食業界・着地型観光を担う団体等、広くヒアリングさせていただきました。18日の19:10の対馬―福岡便に乗るため、対馬空港に向かいましたが、雨がひどくて、30分遅れで出発しました。プロペラ機なので有視界飛行の限界です。21時19分の長崎行き高速バスで長崎に戻ったのが、24時前でした。5時間ほど寝て、すぐに長崎空港に向かい、12時から新宿三井ビル54階の「三井クラブ」で行われた、三井交友会に出席しました。この会は、元々旧三井銀行調査部の経験者の懇親会でしたが、今は、さらに範囲を拡大して開催されて160人程度になっています。調査部も時代とともに変わってきていると思いますが、私がいた1984-85年当時は、後藤新一調査部長の時代で、「人を育てる」ことに熱心であったように思います。午後5時で仕事が終わったら、月に一度くらい、全員で事務所内で懇親会が行われ、後藤部長(九州大学博士)を中心に、様々な経済・金融に関する率直な意見交換が行われました。いわば経済・企業調査のプロとしての「後藤イズム」の薫陶を受けたわけです。その際に、後藤部長が繰り返し言われたのは、「満鉄調査部を目標にしたい」でした。私は、シカゴ大学大学院に留学させていただいた際に、極東図書館(Far Eastern Library)の一角に、満州鉄道調査部の月報が並んでいたので、現場を見る調査能力に驚いたことがあります。今は「働き方改革」でこんなことはできないと思います。当時の三井銀行調査部は調査の枠を超え、秘書課とも連携し、三井グループを抱えた会長・社長(他の金融機関であれば頭取)などのブレインとして機能していました。私も、26歳で会長・社長・副社長の支店長会での原稿素案をそれぞれ執筆させていただき、本人とじかにお話しさせていただき、これが最高の勉強になったと思います。経営者は、自分より何十段も広く深く考えていることを感じました。あれから38年の時が流れ、二度の銀行合併を経験し、今は全員高齢化していますが、交友会で皆さんが口々にしたのは、「いい銀行だった」という言葉でした。私は日本総研に移籍しましたが、及能さん(西南学院大学名誉教授)、足立さん、波木井さん(山梨県立大学名誉教授)等大学教授になられた先輩も多く、70歳以上になられた今は、現役を引退されています。皆さんの目標は、「来年もこの交友会に出席できるように健康維持を」だそうです。

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