子供に何を伝えるか~「父から息子へ伝えるべき事柄」

2月27日に読んだ、城山三郎氏「少しだけ無理をして生きる」の続き。子供には自分が信じた道を歩いて欲しいと思います。子供には何も教えなくても、自然に既に教えている(親の背中を見て育つ)ということもありますが、残された人生の時間を考えると、「そろそろ伝えないといけないこともあるのではないか」と自問してしまう今日この頃です。同書に、「父から息子へ伝えるべき事柄」という短い論稿があります。「毛利元就は息子たちに対して膨大な数の手紙を残しています。(中略)息子たちに毛利の家のあり方、今の企業で言えば企業の理念といったものを徹底的に浸透させ、受け継がせることに意を砕いたのです。」「元就が亡くなったあとも毛利家は長く続いていくのですが、関ヶ原の合戦の時、存亡の危機に陥りました。関ヶ原の時は、隆元の長男、本家の毛利輝元が判断を誤って大坂方に付いてしまう。輝元がなぜ大坂方に付いたかというと、最大の理由は、祖父の元就が重用していた安国寺恵瓊(えけい)という坊さんの言葉を信じたからでした。」「元就おじいさんのやった通りにしたのだからいいじゃないか、ということになりますが、祖父の元就は、恵瓊という人間を良く見て彼を重臣として抱えた。つまり、人間を良く見ていた。孫の輝元は、本当はそこまで真似をしなくてはならなかったのです。」「というのは、もうこの時の安国寺恵瓊は、かつてのような情報通で先見性に満ちた人間ではなくなっていた。(中略)輝元がしなくてはならなかったのは、おじいさんのやったことを猿真似するのではなくて、自分もやはり今の安国寺恵瓊とはどういう人物かをじっくり見極めて、その判断を仰ぐべきだった。あるいは、状況判断を仰ぐべき人間はだれか、きちんと探すべきだった。」若い時から多くの企業経営者と接してアドバイスしてきた私は、この話を思い出します。経営者やその子供、役員を見ていて、「人を見抜く・信じた人を育てる」ことが最も重要な仕事であると思います。父と子は、先週の大塚家具の例を見るまでもなく、常に、「何を伝え(教え)、何を伝え(教え)ないか(=ドラッカー風に言うと、新しい価値創造を子供にゆだねる)」という課題に直面しています。(画像は長崎市心田庵。茶室で心静かに茶を点てるのもいい。)

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