「安藤忠雄とその記憶」で銀閣寺の銀沙灘(ぎんしゃだん)のことを語っていた~日本人の感性の継承を

5月16日夜、東京・青山の日本を代表する著名デザイナー岡本一宣氏(長崎市出身)が大波止の事務所に来られて、岡本先生が自ら総合プロデユース・アートデイレクションされた「安藤忠雄とその記憶」(講談社)を頂きました。私は、建築の専門家ではありませんが、25/26歳の時、シカゴでフランク・ロイド・ライトが設計したプレイリー・ハウスやロビーハウスを見て、建築に関心を持ったことがあり、長崎で公共建築物の基本構想作りや設計の審査委員をお引き受けするようになってから、若いときの記憶が蘇り、谷口吉郎・吉生親子(吉生先生はニューヨーク近代美術館新館の設計で世界的に有名)などの作品を見るにつけ、建築への関心が高まったのを覚えています。また、一支國(いきこく)博物館(現在の長崎県壱岐市に建築)が遺作となった、黒川紀章先生が生きておられた頃、福岡から東京までの車と飛行機の中で、カザフスタンの首都設計や、国家のデザインについてお話を伺ったことも、ハードとソフトの違いはありますが、都市設計に関わるようになった下地となっています。「安藤忠雄とその記憶」に、次の下りがあります。「雪が降る2011年の正月、久しぶりにゆっくりと京都の銀閣寺を訪ねた。あそこは庭がいい。あの白砂の造形には、日本人の文化的感性の最上級の部分が表れていると思う。この時も、銀沙灘(ぎんしゃだん)、向月台(こうげつだい)と呼ばれる砂の彫刻庭園と、しんしんと降り続ける雪の白が一体化した何とも幻想的な風景に、「足利義政はここまで計算して作ったのだろうか」とショックさえ感じた。」(23-24ページ)私が5月に銀閣寺を訪れた時と季節は違いますが、僭越ながら、日本人の感性には共通点が多いと思いました。(画像は、銀閣寺の銀沙灘。月の光の下で見たらどれだけ幻想的だろうか。2014.5.10撮影。)

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