父の死に直面して~笠置の川で一緒に泳いだ思い出

11月11日、長崎総合科学大学で行われた「ながさき次世代ロボット研究会」でのセミナーが終わり、交流パーテイーをしていた最中、妹から携帯に電話があり、奈良の病院に入院していた父が19時20分に亡くなったことが分かりました。翌朝一番の特急かもめと新幹線を乗り継いで、奈良の自宅に戻ると、奥の間の座敷に父が金色の掛け布団に覆われ横たわっていました。10月23日に東京から父に会いに行ったのが、最後でした。私は父が24歳の時に生まれた子供で、親子というより、兄弟のように、三重県伊賀の山奥の島ヶ原村で父と遊んだことを思い出していました。父は、子どものときに体が弱かった私を、山(特に、三重県名張市の香落渓や青山高原)へのハイキングや川・海での水泳など、自然と触れさせるように仕向けてくれました。エンジニアとして旧国鉄に勤めていた父が、夏の暑い日、笠置(かさぎ)(京都府相楽郡、後醍醐天皇が隠れておられたことで有名)に連れて行ってくれて、少し深い淵で水泳を教えてくれた光景を今も覚えています(当時は、村にはプールがなかった)。奈良に転居してからも、夜、国鉄奈良駅の機関車区にあった石炭で沸かした従業員用の風呂に一緒に入りにいった光景がとっさに思い浮かびました。喪主として葬儀社との打合せ、14日通夜、15日葬儀、と慌しく、時間が過ぎていきました。仕事での苦労の末の成功と、二人の子供の教育を両立させて来た父の生き方に敬意を表したいと思います(画像は、私も父も好きだった奈良平城の秋篠寺(あきしのでら)。苔むした庭園が有名。)。画像2014092109530000

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