古都奈良に育って~東大寺・興福寺の境内が子供のころの遊び場だった

8月下旬、久々に暑い奈良に戻り、実家に立ち寄り、両親とも会っていろいろな話をしました。古都奈良は私が小学生・中学生時代を送った場所で、東大寺・興福寺の広大な境内や佐保山の古墳群が遊び場でした。ただ、盆地であるため、京都と同様、夏は暑く、冬は寒い気候で、高齢者が住むには大変で、私が住んでいる長崎や九州のように、冬も温暖というわけにはいきません。平城京を奈良に作ったのは、地震・水害等に見舞われることが少なく、風水面からも適切な立地だったからでしょうが、エアコンのない時代に奈良で住むのは大変だったろうと思います。(笑)奈良県は内陸県、長崎県は海洋県と異なりますが、県民性として、おっとりしたところがある点では共通していると思います。行政面で言うと、奈良県は関西広域連合に参加していませんが、これは、広域連合の責任の所在の不明瞭化、権限調整、経費増大等が理由ですが、奈良県が課題としている県南部の地域振興に悪影響が及ぶことが予想されるためであるとも言われています。奈良県は三重県と同様、今も昔も経済格差等南北問題を抱えており、大阪府に編入されていた明治時代に災害復旧費が十分に廻って来なかったことも、不参加の理由の一つだと思います。私は、関西では大阪市の委員会の委員を務めさせていたこともありましたが、長崎県だけでなく、生育地である奈良県の地域振興にも貢献できるチャンスがあればしたいと思います。(画像は子供の時の遊び場だった興福寺境内。五重塔が見える。中金堂は工事中。長崎にも黄檗宗の興福寺がありますが、それとは違います。)

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