インターネットビジネスの思い出

今の私からは想像もつかないことかも知れませんが、1999年(私が44歳の時)からインターネットビジネスの研究を精力的に始めて、最初の論文「インターネットを利用した金融・証券取引と経営課題」(さくら総合研究所調査報告」2000年1月)を発表しました。当時、銀行経営のコストが問題になっていて、顧客の分類と低コストツールの提供がテーマの一つになっていました。この論文が旧さくら銀行(現三井住友銀行)関連のジャパンネットバンクの設置・ビジネス展開にも影響を与えたと思います。私の得意分野である経済・経営・金融法と全く別の業務として、1996~99年に資金証券企画部市場リスク管理室企画グループ長を務めているとき、銀行の「リスク管理システム」開発のマネジャーを兼務したことがあります。これは銀行が保有する膨大な貸金・証券・為替ポジション等の価格・信用・金利等金融リスク「Value-at-Risk」などを計測するためのシステムで、私が27歳の時に提案したALM(資産負債管理)システムに次ぐ重要性の高い経営システムでした。開発チームは銀行員と富士通・日本ユニシス等25名くらいの20歳台の若者がほとんどで、彼らからインターネットの有用性を教えられました。ニューヨーク・ロンドンに出張する際にも海外のインターネットビジネスを調査しておりました。この論文を公表してから、ネット上の「通貨」とは何かを中心課題として、京都大学大学院や信州大学で非常勤講師を務めるようになったのです。一方、弁護士・司法書士・公認会計士・税理士等から成る集団がやってきて、インターネットを利用した日本で初めてのビジネスモデルとして、ネット上のコンサルテイングビジネスを始めたいのでアドバイザーになって欲しいとおっしゃったので、お受けしました。千代田区麹町のダイヤモンドホテルで缶詰めになり、皆で事業計画書を作成し、「コンサルテイングファーム」というネット上の各種コンサルテイングを行う企業を設立しました。当時は株式公開が日米ともに増えてきていましたから、当然株式公開を目指していました。その時の考え方などをまとめたのが、「学習する会社のナレッジ・コラボレーション」(かんき出版、2001年5月)で、親しい学者である慶応大学の竹中平蔵教授(その後第一次小泉内閣で経済財政政策担当大臣となられた)も執筆してくださいました。コンサルテイングファームでやり取りされるネット上の相談と回答は集積すると、ナレッジ(知識・知恵)となり、未知の課題への手引書にもなります。株式公開のチャンスこそ得られませんでしたが、好調な業績で、今も発展し続けています。同様に、住宅・店舗等の建築設計コンペをネット上で行い、必要な建築資材もネット上で安価に調達する「建築ウエブ」森山社長にも経営アドバイスを行ってきました。この企業も順調に業績を伸ばし、構造計算書偽造問題や東日本大震災後の資材調達などピンチをチャンスに変えて得意分野で成長を続けています。インターネットというツールがこんなにもさまざまな分野で、ビジネスに活用されるとは、発明した人は考えなかったのではないでしょうか?

カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントは受け付けていません。