アジア中国の思い出

私は30歳の時、旧三井銀行(現三井住友銀行)から言われて世界銀行(IBRD)のヤングプロフェッショナルプログラムへのアジア地域の口頭試験をタイのバンコクに受けに行きました。日本から3名が受験して、最終結果は不合格でしたが、口頭試験のことはいまだに覚えています。マクロ経済政策・プロジェクトファイナンスの二科目あって、マクロ経済政策については、インフレと金融引き締め政策、タイの国有バス会社の民営化について、プロジェクトファイナンスについては、バングラデシュの灌漑施設の経済価値の算出方法について聞かれました。当時、タイはまだ高速道路も地下鉄もなく、道路がひどく混んでいました。次にアジア地域に行ったのは、2000年11月、中小企業政策の国際学会が開かれた中国・広州でした。Jinan University and Soonsil University の共同開催による中国・韓国・日本の国際経営学会で、私は、「Trends and Issues in Financial and Management Assistance to Venture Business for the Cultivation of Growth-Oriented Small and Medium Enterprises」と題して発表をしました。日本の中小企業政策のうち成長企業支援政策の優れた点と課題について考察したものでした。後日世界の研究論文を検索していると、この時の論文がエジプトの中小企業政策に生かされていることを知り、驚きました。その次は、2003~2004年、長崎県の対中国経済政策「グランドデザイン」をまとめるために、中国・上海や杭州に行きました。長崎県上海事務所や親和銀行上海事務所に協力していただきました。グランドデザインは、ヒト・モノ・カネの三分野について、長崎県と中国の交流促進策を具体的に検討し、佐世保魚市にも協力していただき、水産品・水産加工品の上海向け輸出の必要性と具体的方法を調査しました。その際に、世界最大の電子商取引サイトを運営しているアリババドットコムのジャック・マー会長に会い、長崎県物産や企業情報の中国向け発信方法を議論しました。ただ、この時には、多少時期尚早だったようです。その後、アリババドットコムは株式公開します。そして、最近では、2009年に西九州統合型リゾート研究会の学識委員会委員長として、ハウステンボスの中平氏と、カジノ事業調査のため、マレーシア、シンガポールに行きました。マレーシアのゲンテインハイランド、シンガポールのセントーサ島はリゾート型カジノの典型だったからです。私はこの時の経験をもとに、「地域再生型カジノ」を提唱しています。何回か、アジア中国を訪問していると、アジア中国が着実に成長を続けていることがわかります。と同時にアジア諸国の経済を動かしている華僑の存在がいかに大きいか、思い知らされます。日本・長崎県ともアジア中国との交流から発展していく構図に変化していくことは確実で、一過性でない官民挙げた付き合いと人間関係作りが求められています。

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