思い出を糧に未来を拓く~2018.2.4最終便機内にて

羽田空港から飛び立ったJAL機内で遠くの夜景を見ていると、自分が若い時からやってきたこと、できなかったこと、憧れてきたことなど思い出します。連日様々な企画・コンサル案件に対応し、講演・シンポジウム・大学の講義や公的委員会への出席を楽しくさせていただいていると、ゆっくり物事を思い出すことが少なくなります。若い時には、恥ずかしくもなく、チャレンジをしたり、期待したりすることが多く、それが原動力となって新たな成長をするものです。この年になると、それが懐かしく思い出されるだけでなく、やり残したことをやっておきたいと思うものだと思います。私が25歳からのアメリカ留学時代も含め、若い時に「美しい生活」「楽しい生活」だと思っていたことは3つありました。

第一に、どこの国にいても、実力や経済力を付けて、地方に住んで質素で静かな生活を送ることでした。これは、多分にアメリカ時代にお会いした、今や著名な投資家となっておられるウオーレン・バフェット氏や、当時からアルメニアの移民の子として苦労を重ねたシカゴ商業取引所の会長だったレオ・メラメド氏の影響だと思います。その頃はアメリカの地方に住むことに憧れていました。ブラジルのオルべブラ財閥のウイルソン・リン氏のポルトアレグレの自宅にクリスマスに伺ったときにおあいした際、international investorの存在を知ったときに、ビジネスは静かな環境の方が成功することを感じました。

第二に、どこの国にいても、日曜日には、家族でブランチをレストランに食べに行くことでした。若い時には、子供がまだ小さい頃、表参道や青山のレストランで洋食のブランチを楽しんでいたことがありました。これは、カポーテイの「テイファニーで朝食を」の影響だと思います。歳をとってからは、反対に、土日でも早起きして神社にお参りに行き、家で納豆と卵とみそ汁の簡素な朝食を取るのが日課となってしまいました。これが一番健康にいいことは言うまでもありませんが。

第三に、どこの国にいても、独自の感性でエッセイを書いたり、旅行をして紀行文を書いたりすることでした。自然や歴史文化遺産や人物など、「触れあい」から得られる感性に従って、作品を社会に伝えたり、書籍として残していけたらと考えていました。25-30歳のころアメリカでインターネットの将来を感じて、便利で豊かな生活の実現を感じていましたが、最後は「コンテンツ」だと思っていました。ICTはツールに過ぎない。そこで、CS放送が日本で始まるときに、友人達とテレビ局設立を申請しました。「女性と子育て専門チャンネル」を作りたかったのです。子育てに困っている若い夫婦や、健康作りしたい方々のための番組を制作したかったのです。当時美容・理容のビジネスに関わっていたのでスポンサー集めには一定の自信があったのですが、時代が少し早すぎたのかも知れません。今は、地上波テレビ局とケーブルテレビ局の番組審議委員長をさせていただいています。

このようにみてくると、私もいろんな人と出会い、いろんなチャンスを与えてもらったものだと思うことがあります。若い時に思い描いた夢は、その通り実現しなくても、形を変えて実現したり、部分的に成功したりするものです。大事なことは「夢を持ち続けること」「夢に向かって行動すること」「道を極めようとすること」かも知れません。自分では努力しても「失敗の連続だ」と思っていても、気が付いてみたら、社会的に評価されたり、「高み」に至っていることが多いものです。競争相手は自分の心、評価は社会がするものなのですから。(画像は長崎歴史文化博物館にて。2/12坂本龍馬と「ガンショー君」と。ガンショー君は軍艦島を支える岩礁。坂本龍馬も岩礁も人生の形。)

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