ファミリーヒストリーを知っておく必要性~この歳になるまで明らかでなかったことを知る

11月23日両親の奈良の実家に泊まり、何が起こってもいいように、お寺やお墓など長男として知っておくべき様々な習慣・しきたりを教えてもらうとともに(これまでは正月の神様を迎える儀式などを実践していたに過ぎない)、この歳になるまで明らかでなかった本家のことや、祖父・曽祖父・母の伯父のことを教えてもらいました。父の自伝や母の句集「南瓜飯(かぼちゃめし)」(角川書店、平成15年)には言えなかった本音の部分や真実の歴史を、両親が生きているうちに聞いておく必要があると思いました。祖母とは私が大学に入学するまで同居していましたから、88歳の天寿を全うするまでに直に先祖の話を聞いていましたが、いずれも断片的でした。檀家寺である西念寺(天台宗)に遺されている江戸時代の過去帳や系図(本家が保管)からすると、菊森の名字は西暦1300年代に始まり、後醍醐天皇が笠置山(現京都府相楽郡笠置町)に籠城された際に、地方豪族として支援をしたことに由来するそうです。そのころの「陣幕(じんまく)」を島ヶ原村(現伊賀市)の正月堂(観菩提寺が正式名。奈良東大寺の二月堂・三月堂の原型となった。)に預けてあったそうですが、ボロボロになっていたので、近年、お寺さんが処分するための了解を取りに来たそうです。また、曽祖父の時代に、祖父が分家となった経緯や、本家の墓・石碑に何故菊の紋様が描かれているかなど、子供心に不思議に思っていたことが明確になりました。祖父(母の父)が近畿日本鉄道の社員で、葬儀には家からお寺まで列が途切れることがないくらい何百人もの参列者に来ていただき、用意していた葬儀の引き出物が足りず、後日、大阪阿部野の近鉄本社まで祖母と母(当時10歳)が届けにいったことを覚えているそうです。当時の田舎では冠婚葬祭は大掛かりだったようです。NHKの番組で他人のファミリーヒストリーを知ることはありますが、自分の家の歴史はもっと知っておく必要があると思いました。

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